50歳どん底からの再生ブログ

さえない中年男の人生再生記録

気晴らしになるのか?

少しずつではあるが、良くなってきたと感じている。

 

それはこの日記のせいだ。

 

多分、書くことで頭と気持ちが整理されるからだ。

 

だからと言って、何もかもが上手くいっている訳でもない。

 

特に土曜日は、結局、仕事はできず、料理にかなりの時間を使ってしまった。

 

それでスッキリしたのなら良いが、

 

疲れてしまった。でも、当然か。

 

久しぶりに、間八と甘鯛を捌き、

・甘鯛の松笠揚げ

・その他天ぷら

・間八のカルパッチョ

・間八の漬け

・間八の昆布締め

・包丁を全本砥いだ

ちょっと頑張り過ぎか。

 

過ぎたるは及ばざるが如し、欲張らずに、コツコツやろう。

 

でも、松笠揚げ、上手にできた。プロ並みかも。

カルパッチョも、店で出せるレベル。今度ケッパーを添えよう。

天ぷらも細かなところもっと向上できれば。

 

漬けについては、今後色々な実験が必要だな、と。

 

次は、出汁だ。一番だし、二番だし、八方だしの三つ。

どうせだったら和田久で買ってからやろう。

 

また、土曜日やろうか。土曜はそうして自分の時間にしようかな。

 

それにしてもカルパッチョ、いいね。生=刺身=わさび醤油、というマンネリからも脱却できるね。オリーブオイル、白ワインビネガー、セロリ、カイワレ、等野菜にすだちを搾ったら、新鮮な味。洋物調味料とも合うね。

 

それから炊き込みご飯を作ろう。キノコでね。

 

当面はあと、

・鰤大根

・蒸し魚料理

・鰆の白味噌漬け焼き

・ふろふき大根

くらいかな。

 

段々、皿とかも欲しくなるね。

 

包丁も早く欲しい。令月、買ったばかりだから切れるけど、切れなくなるのが速そう。

小出刃を使っててそんな感じがする。

その辺りが有次とかとは違うのかな。

値段が10倍くらいだもんな。

 

バーミキュラのフライパンや鍋も揃えたいな。

 

プロを見据えたら、最低でもそれくらいしないとな。

 

作ったもの、将来に備えて記録しておこう。

 

再現性が無ければプロの仕事とはいえないからな。

 

みりんと酢も買えて良かったけど、それらはタカラとミツカンでOKかな。

 

味に決定的な差異をもたらすとも思えず、調達し易さは重要だから。

 

 

 

 

 

 

 

この悔しさから脱出できるのか?

今日、買い物に行ったスーパーに居た時、ふと、あの事件が脳裏をよぎった。

 

そう、3年前に勃発した、あの、金と信用、まさに俺にとっての全てを失った忌まわしい事件だ。

 

時の権力に翻弄され、血祭りにあげられたあの事件。3年経っても傷は癒えたとは言えない。そりゃ、時間の経過により少しは忘れる時間は増えたが…

 

今でも悔しさがこみ上げるし、そのことを思い出す度に、「人生諦めるか」、という自暴自棄的な気分に一瞬なる。

 

だけど、やはり負け犬は嫌だ。このまま奴らにやられっぱなしでいい訳がない。

 

まずは経済的な回復だ。これにより自信も回復するはずだ。

 

そしてその後は更なる飛躍。これにより、あの時のあの出来事がこの結果を生んだ、といえる様になる。

 

そしてそれは可能だと考えている。

 

そのために体力をつけよう、運動しよう。もちろん趣味の料理も。

 

それらを貫くことによって大きな自信を得、それが更なる発展を呼ぶはずだ。

 

今はそれらの事が可能だと信じること、これに尽きる。

 

そう、疑うことなく自分を信じて。俺ならやれるはずだ。と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チキン・ハート

前回の日記、書いた直後は清々しく、仕事に集中できると思っていた。

 

が・・・ 何故かその後大いなる失速。

 

こういうことは初めてのことではない。

 

どころか、いつもこんな感じだ。

 

覚悟を決めると、そのことがプレッシャーとなり、そこから逃れる様に他のことに

 

目が行ってしまう。特に享楽的なものにだ。

 

昔、戦争へ行く若い兵隊が、女郎屋に行った様なものか。

 

若い兵隊だけでなく、将軍も戦地にお座敷の女の一団を連れて行っており、現地で宴会をしていた、と最近の戦争記録のTV番組で見た。

どうりで日本が負けた訳だ、と妙に納得したものだ。

 

人間には、自分の生前本能が脅かされると、性行為の様なことがしたくなる本能があるのだろうか。死が目前と自覚するからこそ、自らの遺伝子を残そうとするのか。

 

まあ、実利的に見れば、要するに気が散る、集中力がないのだ。

 

自分の課題からつい逃げてしまう、いわゆる「チキン・ハート」だ。

 

その課題を目前にすると、蛇に睨まれた蛙の様に足がすくんでしまう。

 

本当に弱い心だ。

 

だけど、今はそんな自分を責めるのをやめる。

 

自分を責めるのは楽だが、それをしたところで、事態が改善する訳ではないと学んだから。

 

また、元のポジションに戻って、進むだけだ。

 

弱い自分と向き合って、いつかは克服できると信じて。

 

この日記を書くことにより、このことを覚えておいて、少しでも改善に役立てばと思う。

 

人生とはかくも難しき、成り難いものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

止めたもの、これから止めるもの

タバコは止めた。

 

何回も禁煙したが、仕事でストレスが溜まるとまた吸ってしまったりした。また、どこかに一人旅に行った時に酒を飲むともう我慢できなかった。

 

一人で地方や外国の繁華街や歓楽街を彷徨い歩き、肴を食いながら酒を飲み、キャバクラや風俗に行く、そんな独身男の寂しくも楽しい放蕩生活の際には決まってタバコが欲しくなった。

 

日常生活に戻るとまた止めた。

 

そんな訳で、福島に行った時に吸ったのが最後で、今から3年以上前になる。

 

もっとも、放蕩生活といってもそんな旅は、1年1度も行ける訳でもなく、したがって、日常で吸うことはまず無かった。そんな生活は15年くらい続いていた。

 

3年前からは、本当に、一本も吸っていない。吸いたい気持ちはまったく無いので、

一生吸うことはないと思う。

 

酒を断ったのは、1年とちょっと前だ。仕事が忙しい5月に止めたのでよく憶えている。最初は自信はなかった。繁忙期でまた飲んでしまうのでは、と。

だけど飲まなかった。

 

そこから1年以上1滴も飲まずにいたが、先日母と那須に行った時の夕食で、ビールとワインを1杯ずつ頼んだ。記念だし、母と乾杯ぐらいしたいと考えたからだ。

結果、これらを飲み切るのがやっとで、あの酔った時の感じが蘇ってきて、それは心地のいいものではなかった。

 

あらためて思った、酒はもう要らない、と。

 

さてこれからだが、

 

TVとネットを止めたい。

 

これらには、「ついつい」という言葉が当。てはまる。

 

何とは無しに、ついTVをつけて、つい番組を見てしまう。

ニュース、サスペンス、スポーツが多い。

 

ネットでは、エロ、ヤフコメ、ワンピースネタバレ You Tubeなどだ。

 

この前よくよく気づいた、ネットを見るときは「寂しい時」だと。

 

誰とのコミュニケーションもなく、寂しかった時についつい手が出ていることを自覚した。

 

解決方法は寂しくなくなることと、熱中できるものを作ることだ。

 

楽しいことは向こうからやってくるものではない、というのは樺沢先生の言葉だが、

 

正にその通りで、いくらネットを検索しても見つかるものではない。

 

TVは母がいる時以外はつけない。

スマホは夜10時~朝6までは電源を切る。

 

これらを徹底して行こうと思う。

 

そして寂しくない様に、相手を探したい。これによりエロ動画も少なくなれば良いのだが。

 

一番良いのは、ビジネスに夢中になれることだが、楽しいことばかりではないので、

 

今のところは分からない。

 

あとは趣味だが、料理でそこまで行くかどうか。

 

とにかく、ビジネスと趣味、これにこしたことはないと思うし、どん底からの再生には必須だと思っている。

 

せっかくタバコと酒と飲み屋通いがやめられたのだから、これらもできる筈だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

他人の人生に自分の幸福は無い

俺には思考の癖がある。

 

それは他人の人生が気になることだ。

 

この癖がついたのは多分、幼い頃、親の勧めもあって偉人伝を多読したことにある。

 

親は子供のためになると思って勧めたに違いないし、俺も「努力して、将来は偉くなるんだ。」と思っていた。

 

「末は博士か大臣か」なんて、今では聞かなくなったが、当時はまだそんな言葉が流通していたと思う。

 

それにプラスして「少年ジャンプ」の影響だ。

 

リングにかけろ」や「風魔の小次郎」の車田作品をトップに、「キン肉マン」「ブラックエンジェルズ」、後期では「北斗の拳」「ダイの大冒険」「ろくでなしブルース」「ドラゴンボール」「スラムダンク」「るろうに剣心」等々、最近では「ワンピース」に至る。それらに共通しているのは、根性、気合、闘いの日々、正義は勝つ、血のにじむ様な努力をし、そして成長し、やがては頂点に登りつめる主人公(達)、の姿である。

 

そして大人になってからは、松下幸之助稲盛和夫小倉昌男藤田田といった親世代の経営者から孫正義北尾吉孝といった一まわり上の世代の経営者、さらに同年代の藤田晋堀江貴文、野尻佳孝のようなベンチャー経営者まで、である。

その他有名なスポーツ選手や芸術家等の本もたくさん読んだ。

 

これらの著書を貪り読めば、それらの経営者の思考法が自然と身につき、自分も同じように成長・成功できる、と思っていた。そんな風に言う、自己啓発本なども流行っていたと思う。

 

それは大きな間違いであったことは、悔しいが、俺自身が証明している。

 

そもそも生まれや時代背景、環境、才能、体力、知力、運等々、人間は、一人として同じ人間は存在しないのである。それを、成功者の真似したから自分も成功できる、などとは、何と安易で虫の良い話であろう。

 

怖いのは、これらを読むことで満足してしまうことだ。読むことによって、何となく自分も成功者になったような気持ちになるから不思議なものだ。

 

これって、若くていい女を抱けないけど、風俗にいけばそうした女とも一瞬の戯れができることと似ていると思う。安易な故に癖になるのだ。

 

一体、どれだけの時間をそんな事に使ってきたのか。

 

成功者は、そんな無駄な時間は一切過ごさないと思う。

 

他人の人生に倣う暇があったなら、自分自身の人生を切り開く行動をとっている筈だ。

 

この歳になってやっとそれが分かった。

 

なので、せめてこれからの残り20年、他人の人生のトレースなぞ一切止めようと思う。

 

少しずつかもしれないが自分の人生を取り戻すつもりだ。

 

最近、前よりスマホでネット記事を見なくなった。

 

とてもいい傾向だ。自分の人生に集中だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

習慣を改善することが重要

前回、脱TVや脱スマホ等について書いた。

 

もっと重要なのは、「性」についてである。

 

男たるものこの欲望について抗うのは困難であり、もの凄く厄介だと思っている。

いっそ、性欲なんか無い方が楽なのに…と何度思ったことか。

 

幸か不幸かこの点について、あまり衰えを感じていない。

 

もちろん、20代の頃と同じ、という訳にはいかないが、その欲望が尽きることは今のところはない。

 

そもそも世の男性諸氏はこの問題にどう対処しているのだろう。

 

結婚25年経つ妻がいたとして、その妻と今でもエキサイトできるのだろうか?

 

妻がおらず、恋人やセフレ等もいない場合はオナニーか風俗という性生活になるが、妻がいる場合、発覚を恐れたり、罪悪感にかられる真面目な人や経済的な問題で風俗に行かない(あるいは行けない)人もいるだろう。その人が妻とのSEXが無い場合、やはりオナニーが選択肢になるのであろうか?

 

下世話な話だが、人間の根源的な欲求である以上、避けられない問題だ。興味本位などではなく、この問題について真剣に悩んでいる。

 

ついついエロ動画を長時間見てしまうのは良くないし(頭が悪くなる、という科学的根拠も存在する様である)、風俗に行くのも後ろめたい行為だ。少なくとも堂々と公言できることではない。

 

果たして50を過ぎても結婚してみれば、これらの問題は解決するのだろうか?

 

そんな事、分かる訳がない。

 

ガーシーに嚙みつかれている某経営者の様に、お金さえあれば女は何とでもなるのになぁ、と大方のおじさんは思うと思ってます。

 

経営の神様である稲盛さんですら、「色欲、抑え難し」と何かで言っていた記憶があります。だから人間の煩悩の中でも厄介なものなのだ、と。

 

本当にそう思います。

 

 

 

大き過ぎる野望

何故か「地道に」に歩むことができない。

 

今日も散々、スマホでガーシーらの記事を読んでしまった。

 

木原官房副長官という東大から財務省、今は岸田総理の側近にて、兄はみずほフィナンシャルの社長という華麗なる一族だ。ほぼ同い年でこの差は何?とか考えてしまう。

 

そんなの、そもそも能力が違うのが一番だし、家柄や環境も違う、比較の対象になる筈もないのに何でそんな事を考えてしまうのか。

 

その木原氏が、尊大で無礼な人間だとか、愛人がいるとかいう記事を読んで、そうだろう、やはりそういう奴は人間的に問題がある、とかいって溜飲を下げる自分がいる。

そもそも全く知らない人間なのに。

 

ただ、ガーシーが言うには、そういう記事を喜ぶ中年男子が日本、特に地方に大勢いるとのことだ。満たされない中年男子の悲哀だな。

 

幸せになりたいのならば幸せになろうしてはならない、

とか、

何かを成し遂げたから(出世とか経済的成功)幸せになれるのではない、(毎日が)幸せだから何かを成し遂げられるのだ、

が正しいと学んだはずだが、それを実行できていない。

 

このままの状態であと20年過ごしても事態は好転しないと自覚している。

 

そもそもこの、「大物志向」とでも言うべき思考パターンはどこから来ているのだろう。

 

・幼い頃、偉人伝が好きで、それらを読んで偉人に憧れた

 

・少年ジャンプが好きで、闘いの世界を勝ち抜く物語が大好きだった

 

・大人になってからは、経営者の本が好きでよく読み感化された

 

・若い頃、ある程度周囲から期待された(君は大物になる、のような発言)のを真に受けた

 

・バブルに育ち、そんな世の中がずっと続くと思い込んだ

 

・努力をすれば必ず報われる、と考えていた

でもそれらは幻想で、見事に打ち砕かれた。

 

解決策は、

頭の中身を書き換えることだ

・「偉人」や「名経営者」と自分は全く違う、と自覚する

→それらの真似をしようとすることを止める(そもそも真似できないし)

経済的成功者やスポーツ選手(特に好きなナダル)に自分を重ねない

 

・漫画の様な空想の世界を求めない

→ワンピースを読むのを止める

 

・テレビ(特にスポーツ)、スマホをやめる

 

・ありのままの自分を受け入れる

 

これらを実行するだけでもかなり事態は改善するだろう。

簡単そうだが、そうではない。

これらは自分の中で習慣されており、それに抗うのは至難の業だからだ。

 

ただ、俺には酒とタバコを止めた実績がある。酒を止めないと死ぬと感じたからだ。

 

上記のことはより分かりにくいことなので厄介だ。

 

「酒止めた」は他人に対してもインパクトがあるが、

 

「漫画やめた」とかは生活の些細な一部であり、他人はそこまで知りえないので、他人の反応が得られないからだ。

 

己自身のことで一番難しい。依存的な要素もあり、尚のことだ。

 

自分のことに100%集中する。意外にも、これが出来ていないことを改めて自覚した。

 

今後、「どこまで自分自身を確立し、自分に集中できるか」これが鍵となると感じている。