他人の人生に自分の幸福は無い
俺には思考の癖がある。
それは他人の人生が気になることだ。
この癖がついたのは多分、幼い頃、親の勧めもあって偉人伝を多読したことにある。
親は子供のためになると思って勧めたに違いないし、俺も「努力して、将来は偉くなるんだ。」と思っていた。
「末は博士か大臣か」なんて、今では聞かなくなったが、当時はまだそんな言葉が流通していたと思う。
それにプラスして「少年ジャンプ」の影響だ。
「リングにかけろ」や「風魔の小次郎」の車田作品をトップに、「キン肉マン」「ブラックエンジェルズ」、後期では「北斗の拳」「ダイの大冒険」「ろくでなしブルース」「ドラゴンボール」「スラムダンク」「るろうに剣心」等々、最近では「ワンピース」に至る。それらに共通しているのは、根性、気合、闘いの日々、正義は勝つ、血のにじむ様な努力をし、そして成長し、やがては頂点に登りつめる主人公(達)、の姿である。
そして大人になってからは、松下幸之助や稲盛和夫、小倉昌男、藤田田といった親世代の経営者から孫正義や北尾吉孝といった一まわり上の世代の経営者、さらに同年代の藤田晋、堀江貴文、野尻佳孝のようなベンチャー経営者まで、である。
その他有名なスポーツ選手や芸術家等の本もたくさん読んだ。
これらの著書を貪り読めば、それらの経営者の思考法が自然と身につき、自分も同じように成長・成功できる、と思っていた。そんな風に言う、自己啓発本なども流行っていたと思う。
それは大きな間違いであったことは、悔しいが、俺自身が証明している。
そもそも生まれや時代背景、環境、才能、体力、知力、運等々、人間は、一人として同じ人間は存在しないのである。それを、成功者の真似したから自分も成功できる、などとは、何と安易で虫の良い話であろう。
怖いのは、これらを読むことで満足してしまうことだ。読むことによって、何となく自分も成功者になったような気持ちになるから不思議なものだ。
これって、若くていい女を抱けないけど、風俗にいけばそうした女とも一瞬の戯れができることと似ていると思う。安易な故に癖になるのだ。
一体、どれだけの時間をそんな事に使ってきたのか。
成功者は、そんな無駄な時間は一切過ごさないと思う。
他人の人生に倣う暇があったなら、自分自身の人生を切り開く行動をとっている筈だ。
この歳になってやっとそれが分かった。
なので、せめてこれからの残り20年、他人の人生のトレースなぞ一切止めようと思う。
少しずつかもしれないが自分の人生を取り戻すつもりだ。
最近、前よりスマホでネット記事を見なくなった。
とてもいい傾向だ。自分の人生に集中だ。